スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ワイルド・スピード MEGAMAX

初めて見ました。ヴィン・ディーゼルも初めてかも。マッチョな男はたくさんいるけど、あの渋い声は貴重かもしれないですね。
監督 ジャスティン・リン
出演 ヴィン・ディーゼル (Dominic Toretto)
ポール・ウォーカー (Brian O'Conner)
ジョーダナ・ブリュースター (Mia Toretto)
ドウェイン・ジョンソン (Luke Hobbs)
タイリース・ギブソン (Roman Pearce)


映画の日ということで、今日は二本立てです(10/1)。何も考えなくてもいい映画を一本目には選びました。都合のいいストーリーでもかまわない、スリルがあって、いい女が出て、スカッとして、ちょっとした驚きがあれば。自慢じゃないけど、普通の男が一度は通る「カーマニア」の洗礼を一切受けなかった私なので、そこの面白みは一切ないのだけど、きっとマニアたちは「あの車」に傷がつくんじゃないかと思って、はらはらしていたんでしょうね。

大型ハンマーみたいな「鉄の塊」を引きずりながら、ブラジル・リオの町をカーチェイスするというアイディアはいかにもハリウッドです。一体どんな風にして撮ったんだろう。どう考えても店の一軒や二軒は潰していそうな気がするのだけど。

まあ、そんな映画です。エンド・ロールは最後まで見たほうがいいようです。シリーズを知らない私には??でしたが。
スポンサーサイト

「アジョシ」

あらすじ
町の片隅で質屋を営む青年テシク。お客以外に訪ねてくるのは、隣の部屋に住む少女ソミだけだ。ダンサーの母親と二人暮らしのソミには“アジョシ(おじさん)”と呼ぶテシクだけが唯一の友だちだった。ある日、ソミが家に帰ると見知らぬ男たちが待っていた。ソミの母親が組織から盗んだ麻薬を取り返しに来たのだ。組織の男たちはソミをさらい、テシクを警察へのおとりにする計画を立てる。しかし、彼らが知らない事があった…。
監督 イ・ジョンボム
出演 ウォンビン (Cha Tae-sik)
キム・セロン (Jeong So-mi)
キム・ヒウォン (Man-seok)
ソン・ヨンチャン
キム・テフン (Kim Chi-gon)


ひとりの殺しのプロが、一人の少女を守るために、闇の組織と戦うというストーリーに「レオン」を思い出した人が多いらしい。しかし、私はあまり関係ないと思う。これは韓国映画では「甘い人生」や「ひまわり」などに続く韓国映画伝統の作劇のひとつなのだと思う。愛する人を守るため、或いは失って怒りを爆発させるという展開は、それまで抑えていたものが一気に弾けるのを見せてひとつの職人芸であった。

しかし、この映画の場合、ウォン・ビンの見せ所を多くしようとしたためか、彼が動き出した後が非常に長い。もちろん映像的にはほとんどダレルことなくそれを描いているのは流石だと思う。一方で、最近の韓国映画にありがちな「目を背けたくなるような」場面も多い。

ウォン・ビンの目の力が最後まで物語っていたので、それを何とか保つことが出来たが、もうここら辺りが限界だろう。ギリギリのところだったのか、失敗作だったのか、私には判断つきかねる。

ただし、最後の場面
「一人で生きていけ。大丈夫だな」
と言われて、健気に肯くキム・セロンの表情を見てしまって、この作品のすべての欠点は忘れてしまった。何度も言っているけど、私、健気に頑張る女の子の話に弱いんです。

ナタリー・ポートマンのようにファン宣言はしないが、彼女のことはずっと気にかけて置きたいと思う。

「BIUTIFUL ビューティフル」バルセロナの朝焼け

人は、人生最後の日々に何をするのだろう

という謳い文句の映画である。末期がんの宣告をされて余命二ヶ月。こういう男の物語は「生きる」を出すまでもなく幾つも作られた。しかし、予想に反して男は何かを始めるわけでもない。そもそも、我々の目の前に現れるのは、かつて見たこともなかったスペインバルセロナの裏町の現実である。

監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演 ハビエル・バルデム (Uxbal)
マリセル・アルバレス (Marambra)
エドゥアルド・フェルナンデス (Tito)
ディアリァトゥ・ダフ (Ige)
チェン・ツァイシェン (Hai)

002ビューティフル(小)

男ウスバルを演じたのは、バビエル・バルデム。かつて人間性の欠如した殺人鬼になったこともあるし、とびきりのプレイボーイにも何度もなった。清濁あわせ持つ人間を演じてピカイチである。その男がスペインの裏の顔を総べて飲み込むような男になって我々の前に出てくる。

彼の主な職業は斡旋屋である。仕事を紹介して賃金のピン撥ねをしているのであるが、案外面倒見もよくヤクの摘発に捕まらないように警官と裏取引を試みたり、中国人の貧困ビジネスの25人の集団の暖を取るために暖房機を買い入れたりもしている。警察に捕まった夫の頼みを受けてセネガル人の妻の住所を見つけたりもしている。また、彼は「イタコ」のような特技も持っていて、時々なくなった人間の言葉を遺族に伝えるアルバイトもしている。私生活では、妻は躁鬱症で別居中だ。子供二人を面倒を見ながらギリギリの生活をしている。小学一年ぐらいの男の子と、小学四年ぐらいの女の子の食事はずっと彼が作っていた(けれども毎日コンフレークと焼き魚の日々ではある)。食べるシーンが何度も出て来る。それはすなわち、彼たちが生きているということなのだ。

夜明けのバルセロナの街が美しい。ウスバルは生まれて直ぐ父親と死に別れ、母も早く亡くし満足に学校にいってなかったのか、子供にBEAUTIFULの綴りを聞かれて「BIUTIFUL」と答える。つづりは間違えるけれども、美しい世界は都会の下町の中でも確実にあるのである。

一瞬映った亡霊は一体誰だったのか。

死の宣告がされた後も、彼は「子供を残して死にたくない」といい、別れた妻との関係修復も試みるが、時々現れる精神の不安定さにやはり妻と別れ、知人のアパートにもぐりこみ、彼女に子供の行く末を頼む。それが如何に危ういかを男は既に判断できないほど病状が進んでいた。

また、彼は判断ミスで世話をしていた中国人25人を事故死させる。「赦しを請いなさい」というアドバイスも聞けないくらい彼は何も出来ない。

生きる、ということは、大切な人を守り、大切な人を傷つけ、愚かなことを繰り返し、そして大きな罪を犯し、美しいものを見る、ということなのか。死ぬ前に人は、それでも黒曜石のような純粋なものを人に残すことが出来るのか。

私の父の最期と重なって、そして自分の最期を想い、心が抉られるようだった。イニャリトゥ監督も「父に捧げる」と最後に告白する。記憶に残る映画だった。「バベル」よりも、ずっとこちらのほうがいい。

「孫文の義士団」滅びの美学

big孫文の義士団

北方謙三の「水滸伝」という小説がある。この小説の最大の特徴はその「滅びの美学」にあった。梁山泊に集まった100人以上の英雄たちが、様々な出自を持った漢(おとこ)たちが、たった一つの目的のために、それぞれの役割を華やかに出し切って、見事に死んでいく。

監督 テディ・チャン
出演 ドニー・イェン (Sum Chung-yang)
レオン・ライ (Lau Yuk-bak)
ニコラス・ツェー (Ah Si)
ファン・ビンビン (Yuet-yu)
ワン・シュエチー (Li Yue-tang)


あれを映画にすれば、(少なくともこの小説では60人近くは死んでいくから)100時間の超大作にならざるを得ないが、こんな映画になるのだろうなと思う。梁山泊の宋江に当るのは、この映画ではもちろん孫文だ。彼は一切闘わない。その存在だけでいい。戦略を練る呉用の役は新聞社社長のシャオバイ。兵站と財政を担う蘆俊儀の役は、実業家ユータンだ。

自らの技を証明するために立った男も、紅一点で少し他の男たちよりも技は劣るが誇り高く戦う女、娘に父と認めてもらいたいがたために戦う男、自らの業に決着をつけるために戦う男、誠実だけを武器に最強の相手に一矢を報いた男。みんな最後のときは輝いていた。

孫文の理想は歴史の中にある。しかし、観客はそこがわからなくてもいい。かっこいい漢たちの見事な死があればいいのである。中国の多くの庶民にとっては、辛亥革命の理想も、愛するものを守るために散った命も、同等だろう。この映画が普遍性を持つとしたら、まさにそれを同等に描いているというところだ。

映像も素晴らしい。

閉じられたセットの戦いではなく、全編香港の街中の人々が混じる中での撮影になっている。セットの豪華さと、エキストラの豊富さ。現代中国の人資源と財力が融和した現代でないと撮れない映像だった。

暫く鳴りを潜めていたエンタメ映像の中国が見事に復活してきている。

「シャンハイ」或いは「上海の女」

どうも「シャンハイ」のブロガーの評判がよろしくない。曰く「恋愛モノとスパイモノとどっちつかずで終ってしまった」ということらしい。

映画は自分の目で見てみないと私はコメントしない。ということで、見てみた。

004コン・リー

監督 ミカエル・ハフストローム
出演 ジョン・キューザック
コン・リー
チョウ・ユンファ
菊地凛子
渡辺謙


これは日米の騙しあい諜報映画でも、ポールとアンソニーとアンナの三角関係の恋愛モノでもない。愛する父親を失って抗日運動に身を投じたひとりの女の話だ。そうやって見ると、なかなか見ごたえのある映画だったと思う。

アンナの父親はどうやら良心的な知識人だったようだ。4年前の南京事件に批判的な言動をしたのを日本の軍部に目をつけられ、悲惨な死を遂げる。それを見た娘は、一族郎党ともに処分されかかったところを上海の黒幕のアンソニーの妻になることで死を免れる。ところが、聡明なアンナはそれによって、抗日戦線組織の中で重要な役を持つ女に変貌を遂げていた。

日米開戦直前の1941年、アメリカ、ドイツ、日本、そして中国それぞれの思惑が入り乱れる"魔都"上海の混沌とした様子はよく描かれていた。それを分かりにくいと見るか、魅力的だと見るかはまた別の話。

その中で、抗日戦線の女の顔、上海やくざ組織の妻の顔、まだ穢れを知らなかった少女のような顔、冷血な顔、恋する顔、弱々しい顔、ぞくりとする妖艶な顔を使い分け、何にも語っていないのに、このときの一人の女の「運命」を総べて語っていたコン・リーのための映画であった。

映画の題名は無国籍の魔都「シャンハイ」よりもいい題名がある。「上海の女」である。

残念なのは、ポールと手が切れてアンナは上海に残るのだと私は思っていたのだが、なぜか手はつながり彼女は船に乗った。そして、なぜか瀕死の重傷のはずの田中大佐が船の前で待っていた。彼の目的は二人を見つけること以外にはなかったはずだ。けれども、二人を見逃す。これは、あくまでも「絵的」なものだけを求めた脚本であり、いうなればこの作品を土壇場で台無しにしたと思う。アンナは結局直ぐに上海に戻ったのだから、あれは本当に意味がなかった。
プロフィール

Author:KUMA0504
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター(11.06.08より)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。