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午前10時の映画祭「ゴッドファーザー パートⅡ」

私は「ゴッドファーザー」シリーズをまともに見たのはこれが初めてである。パートⅠとパートⅢはテレビで半分くらい見たと思う。だから大まかな粗筋だけは知っている。細かな人間関係は知らない。

家族を愛しているが、一方では巨大なマフィアの頂点(に近いところ)にいる二代目のドン・マイケルの話だということも承知していたし、パートⅢにおいてマイケルが独りになる場面も見ていた。

今回、多くの人間が傑作だといっている理由はやっと了解した。やっとこのシリーズが、何を描きたかったのか、どこが素晴らしいのか、分かった気がした。

監督: フランシス・フォード・コッポラ
音楽: カーマイン・コッポラ
ニーノ・ロータ
出演: アル・パチーノ (ドン・マイケル・コルレオーネ)
ロバート・デュヴァル (トム・ヘイゲン)
ダイアン・キートン (ケイ・アダムス・コルレオーネ)
ロバート・デ・ニーロ (若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネ)
ジョン・カザール (フレデリコ・“フレド”・コルレオーネ)
タリア・シャイア (コニー・コルレオーネ・リッジ)
リー・ストラスバーグ (ハイマン・ロス)
マイケル・V・ガッツォ (フランキー・ペンタンジェリ)


ヴィトーは、シチリア島のマフィアによって家族を惨殺され、一人のみ生き残る。それが彼を決定付けた。家族を守ること、強くなること、たとえ人を殺してでも。

イタリア移民の小さな男の子の決意は、そのまま移民国家アメリカの歴史でもあったろう。

とくに禁酒法時代のニューヨーク、キューバ革命前夜のハバナのセットづくりは素晴らしい。確かに現代はCGではるかに安価で精しく作ることは可能だろう。しかし、この画面の中の緊張感を見よ。一人ひとりの役者が失敗をすればまたもや徹夜が続くだろうことを知っているから、見事な演技が隅々まで渡っている。妥協を知らぬ画面つくりとはこういうものだと分かる。こういう映画があったことを私たちは忘れてはいけない。映画は夢を作る商売だ。夢は現実的に作れば作るほど、夢になる。ほんの少しの「差」が永遠を作るのだ。

家族を守り、強くあろうとすることは、そのままアメリカ強欲資本主義の成長と重なっているだろう。ドルまみれのキリスト像はそれを1910年代に予見していたのだろう。

マイケルの悲劇は、その「強欲」がついにはファミリーの一人であるフレドまで及んだところなのかもしれない。
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