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午前10時の映画祭「風と共に去りぬ」

「風と共に去りぬ」
もうこれで4-5回目くらいの鑑賞だけれども、たぶん大画面で見たのはこれが初めてではないだろうか。なんと一分ほど遅れて行ったらチケットが最後の一枚だっのたので一番前の端から見るはめになった。それだけが心残りであるが、ともかく劇場で見ると全然違う。本物の建物と調度品、そして駅前の負傷者のあの海!!爆撃時のアトランタの人海戦術などの見事なセット、「明日のことは明日考える」という台詞はスカーレットの最初の登場場面で既に為されているなど、見事な脚本、その他発見がたくさんあった。

1400178336風とともに去りぬ

監督
ヴィクター・フレミング
主な出演者
ヴィヴィアン・リー 、 クラーク・ゲイブル 、 レスリー・ハワード 、オリヴィア・デ・ハヴィランド


未だにわからないのは、このスカーレット・オハラは最初から最後まで自己中心的できっと彼女にしたならば振り回されて疲れてしまって、私なら一年も持たないだろうに(^_^;)、どうしてここまで永遠のヒロイン像の座を保つことが出来ているのか。ということだ。

ひとつは彼女の美しさであることは間違いない。最初の登場場面では少女というにはあまりにも成熟した顔がアンバランスで、なかなか馴染めないのであるが、結婚してあっという間に未亡人になり、戦火に塗れる辺りから急激に美しさが際立ってくるのだ。あれはもしかしたら、ヴィヴィアン・リーという新人女優の「成長」自体もこの映画は記録していたのではないか、とさえ思えるのである。

ひとつは常にレット・バトラーの視線から見たスカーレットの半生記という面があるということ。レット・バトラーという男は、スカーレットと同類だと自ら言ってはいるが、一方では自分と世界とスカーレットを冷静に分析できる知性をも持っている。そこがスカーレットとの大きな違いであり、魅力である。おそらく彼女の行動力はレットをも凌駕していたのであろう。美しさもあいまってレットは生涯スカーレットを愛してしまった。その視線から常にこの映画は出来ているのである。彼女の欠点はよく見えるけれどもやっぱり彼女が魅力的に見えてしまうのだ。けれども彼女を御することが出来たのはレットだからであって、前夫同様我々では無理なのだ。

しかし、この映画とて万能ではない。今から見ると、彼女がラストで突然タラという故郷の「土地」への愛に目覚めるというのはやはり強引のような気がする。彼女がタラの地で頑張っていたのは、結局最初と戦後の一時期だけなのである。なぜ彼女が最後に目覚めるのが、製材業やその他「商売」への愛ではいけなかったのか。そこら辺りが説得的ではないのである。

そして、今回発見したのは、この映画は今でこそ名画の中に繰り入れられていて、事実名作なのであるが、一方ではものすごい「メロドラマ」であったということだ。後半の一度ならずも三度か四度のスカーレットとレットとのお互い愛していながらの「気持ちのすれ違い」というのは、今の映画では気恥ずかしくてめったにやらないことだ。ただし、韓国ドラマでは定番である。しかも、スカーレット、レット、メラニー、アシュレの四画関係は、もしかしたら韓国がこの映画をお手本にしているのではないかと思うほどに良く出てくる。

韓国ドラマのルーツは「風と共に去りぬ」だった。
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