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「一枚のハガキ」最後のクジは外れじゃなかった

友子さんはいったい何歳なのだろう。時に40歳くらいに、時に23歳くらいに見える。もっと若い女優の芸達者な女性を起用するという手段もあったかもしれない。そうすれば、もっとリアルな芝居が見れる。もっとも相当芸達者じゃないといけないけれども。

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監督・脚本・原作 新藤兼人
出演 豊川悦司
大竹しのぶ
六平直政
大杉漣
柄本明

とつぜん男たちが喧嘩を始めて、にやりと不適に笑える女優で無ければならない。果たして誰が居るだろう。

そもそもリアルであろうとは監督はけっして思っていなかっただろう。

「これが俺の最後のクジじゃ」
最後の監督の作品は、最後のくじで引き当てた妻の音羽信子の面影のある大竹しのぶを存分に活かし、時に狂気を見せ、時に聖母のように一人の女を描ききった。

まるでヒマワリ畑のような麦畑で二人の生活が始まる。見事なラストだと思う。

歓待

4208八丁座

七月末、広島の八丁堀の福屋八階の八丁座に行きました。日本一のシートに座って映画を見たかったからです。二時間座って、まったく疲れを覚えない、(昨晩ほとんど寝ていないのにかかわらず)全然眠たくならない、素晴らしいシートでした。

この日は「歓待」という映画をしていて、主演女優の杉野希妃さんの舞台挨拶がありました。

「歓待」
第15回プチョン国際ファンタスティック映画祭最優秀アジア映画賞受賞(特別展示されていました)

監督・脚本・編集 深田晃司
出演 山内健司 杉野希妃 古館寛治

下町で零細印刷業を営む家族に現れた訪問者。次第に何かがずれていき、ついに事件が!

という映画なのですが、杉野さん曰く「受け入れる」がテーマなのだそうです。うーむ、そういえばそうなのかなあ、というかんじです。

芝居は杉野さんが特にそうですが、けっして上手いとはいえません。脚本はいわゆる「へんな脚本」です。好き嫌いはハッキリするでしょう。最後は「この夫婦は別れるのか、やり直すのか、人によって違うと思います。それでいいと思います」と杉野さんは言っていましたが、私はそういう映画は実は嫌いです。確かに結論は見た人が自由に持つべきです。けれども、言いたいことを観客に投げてしまうような作家を私は信用できない。

杉野さんは若いのですが、なんとプロデューサーを兼ねている。芝居ははっきり言って魅力はないですが、容姿とその「姿勢」にはびっくりするものがあります。ずっと深田監督とコンビを組んでいるようですが、そういう関係なのかもしれません。

4214舞台挨拶

「ポリシーがあって英語字幕をつけています。見難いかもしれませんが、日本には住んでいるのは外国人もいるということを主張したいんです」
ときどき広島弁が台詞に使われている、聞かれて彼女は「私が広島出身ということは確かにあります。このナツキは地方から出てきて都会に馴染めない女性ですが、これからも広島弁は譲れない、と思っています」
つまり、杉野希妃という女性は、いいように言えば「しっかりしている、ポリシーがある」悪く言えば「きつい」ひとのようです。

今は深田監督と江戸時代を舞台に脚本を練っているのだとか。期待せずに待ちたいと思う。

祝(ほうり)の島

8月5日、、纐纈(はなぶさ)あや監督の『祝(ほうり)の島』というドキュメンタリーと監督のトークの企画があったので見てきました。
000祝の島

「ミツバチの羽音と地球の回転」と同時期に撮影されている祝島の人々のドキュメンタリーであるが、『ミツバチ……』のほうはスェーデンの自然エネルギーの取り組みも取材しているので、こちらのほうが祝島の『生活』ははるかに濃い。

上映の後に監督挨拶にしては20分と長い映画『解説』があったので、それを紹介することが、すなわちこの映画の紹介になるだろう。

なぜこの映画を撮ったのか、というとキッカケは八年前の祝島で私もプロデューサーとして係わった「アレクセイと泉」上映会からでした。私はガチガチになって祝島に行った。20数年間原発反対運動をしている島民の人たちの前でいったい何が話せるというのか。でも船から下りて出遭ったのは、あの島の人々です。あのおばちゃんたちです。この日は月曜日で、あの定例デモが終って上映会に入ったのですが、面食らいました。所謂原発反対の抗議行動とは別の姿があった。

日常の暮らしから来る思いーそれらを撮りたいと、そのとき思ったのです。五年後、中電との小競り合いの映像をテレビで見た。そこには、日常には無い闘いの姿でした。なにかの問題が起きたとき、当事者以外の人はテレビでの激しい姿しか眼につかない。上関原発のことも、まずは島の人々がどんな暮らしをしてきたか、その順番で知っていかないといけないと感じたのです。

ただ、撮影に入る前に『日常を映していくには時間がかかる』ということだけは覚悟していました。空き家を借りて自炊生活をしながら二年間島に通いました。この映画のパンフに『頂き物日記』というのがあるのですが、毎日頂き物をしました。撮影スタッフ女性3人、本当に助けられながら撮影をしました。

普通島に行けば、『自分が何が出来るか』自問すると思うのだけど、私たち自身が元気をもらって帰ってきました。特に伊東のおばちゃんの家、あそこは平さんたち四人が365日集うのだけど、NHKの介護サービスのニュースをしていたときに『私らは毎日デイサービスじゃ』と笑うんですね。平さんが『祝島には入院施設が無い。生活できなくなると島を出ないといけない。わしらは島から出たら死んでしまう』というんですね。みんなの願いはひとつです。最後を祝島で迎えたい、ということ。本来人間も植物のようなもので、根を張ったところから引き離されると死んでしまうのではないでしょうか。3.11以降、島の人のこと思うことが多くなりました。フクシマのことと同じで、そこから引き離されることの苦しみはいかばかりかと思うのです。

震災後私は怖くてしばらく部屋を出ることが出来なかった。私は30代独身です。結婚して自分の子供を産みたいというささやかな夢を持っています。

そのとき、ベルラーシーの危険地域から出ないおじいさんの言葉を思い出したのです。「どうしてでないといけないのか。人間の汚した土地だろ。どこへ逃げるというのか」初めてそのとき、自分の言葉として分かった気がしました。自分の子を残すよりも、これからの子のために自分の命を惜しまずに使うことが出来るのではないか。

原発は先ず命の問題として捉えたい。


私も質問しました。
「実は震災直後、偶然祝島を旅しました。みんな本当に素朴な人たちで、ぜひとも皆さんも祝島に行ってほしいと思います。平さんの棚田にも行きました。平さんの一年がわかってよかったです。この撮影の後、亡くなった方はおられるのですか。それと自然エネルギー100%自前で完結しようというプロジェクトがあるそうですが、具体的に教えてください』
「亡くなった方はおられません。でもちょっと前まで530人居た島民が今は500人を切っていると思います。でもいいこともあります。このとき、三人だった小学生ですが、いまは5人と中学生1人になっています。それからプロジェクトですが、これから詰めていく段階で、具体的にはなっていません。」


他の人も質問しました。
「推進派の人はいたのですか」
「なぜ、推進派の人を撮らないのか。私は推進派、反対派と捉えたくない。それよりも島の人が大切。島の人たちは推進派との対立で心に傷があります。」


平さんの棚田にこの春に行った時、ホントにこんな広い土地で米なんか作っているのだろうか、と思ったものだ。米は大変だから豆とかを作っているのではないかと思ったのだ。しかし、ホントに米を作っていた。しかも、記事の中にあるこの棚田を作った亀次郎さんの句碑はなんと2-3年前に孫の平さんが「おじいさんは文字が読めなかった。だから何も書き残していない。せめて句碑を残すことで生きた証を残したい」と手彫りで一年がかりで彫ったのだ。びっくりした。本当に何から何まで手作りなのだ。しかも老人が一人で。「今日もまたつもりし雪をかきわけて子孫のためにほるぞうれしき」。

4633あや監督

監督は意外にも大林素子を若くしたような美人な若い女性でした。「ミツバチ……」の監督のような闘士ではなく、素朴な志を持った正統なドキュメンタリー作家でした。私は実直なこの映像に感心しました。ちょっとひつこい処はあるので、切れ味の鋭い作品にはなっていません。けど、大晦日の伊東のオバサンのうちの紅白を見るみんなの姿勢がちょっと前のうちの「家族」のようで。もう失われている家族のようで、だからこそ愛おしくて堪らないと思ったのです。

コクリコ坂から

ジブリ映画にしては、あまり客が入っていない。宮崎駿の神通力も薄れかけているという事かもしれない。この映画のシノプスに付いては、珍しく公開されている。宮崎駿が去年の一月に作った企画書に詳しい。

全部紹介すると長いので、私流に抜粋したい。ただし、ネタバレもあるので見たくない人は見ないようにしてもらいたい。私的にはこのようなネタバレはオーケーである。それをどのように描くかどうかが問題である。

宮崎駿の企画のための覚書
(略)
「となりのトトロ」は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である。今日からは57年前の世界となる。
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。
(略) 
登校路は、まだ舗装されていない道も残り、オート三輪やらひっかしいだトラックが砂埃(すなぼこり)をあげている。が、ひとたび町へおりると、工事だらけの道路はひしめく車で渋滞し、木製の電柱やら無秩序な看板がひしめき、工場地帯のエントツからは盛大に黒煙、白煙、赤やらみどり(本当だった)の煙が吐き出されている。大公害時代の幕がきっておとされ、一方で細民窟が存在する猛烈な経済成長期にある。横浜の一隅を舞台にすることで下界の有様がふたりの直面する世間となる。その世界を俊と海が道行をする。そこが最後のクライマックスだ。
出生の秘密については、いかにもマンネリな安直なモチーフなので慎重なとりあつかいが必要である。いかにして秘密を知ったか、その時ふたりはどう反応するか。
ふたりはまっすぐに進む。心中もしない、恋もあきらめない。真実を知ろうと、ふたりは自分の脚でたしかめに行く。簡単ではない。そして戦争と戦後の混乱期の中で、ふたりの親達がどう出会い、愛し生きたかを知っていくのだ。昔の船乗り仲間や、特攻隊の戦友達も力になってくれるだろう。彼等は最大の敬意をふたりに払うだろう。
(略)
観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。

監督 宮崎吾朗
出演(声) 長澤まさみ (小松崎海)
岡田准一 (風間俊)
竹下景子 (小松崎花)
石田ゆり子 (北見北斗)
風吹ジュン (小松崎良子)


若干、企画書から脚本段階で変わったところはある(旗の返礼を巡るエピソードなど)。
物語の主人公は実は、一方は坂の上にある下宿屋兼海の実家コクリコ荘であり、一方は取り壊しが学園問題になっている文化部の巣窟カルチェラタンである。映画的興奮はこの二つを行き来することで出来上がる。

宮崎駿ならば、カルチェラタンはもっともっと複雑に収集が着かないほどになっただろう。その意味では堅実な吾郎の起用はよかった。けれども、やっぱり細かい演出はなかった。そこが物足りない。

何度みても発見のあるようなアニメではないと思う。
「上を向いて歩こう」が二度も流れる。

過去を大切にしながら、上を向いて誠実に歩いていこう。もう一度。
高校生ではなく、当時の空気を少しだけでも知っている大人だけに、もしかしたら伝わるメッセージを持った映画なのかもしれない。

「PEACE ピース」地元の豪華ゲストトーク付き

7月23日、岡山上映の初日に行きました。上映の後、監督トークがあったのでそのメモを元に再現してみます。あくまでも私のメモを元にしているので、ニュアンスは違っているし、もし間違いがあれば訂正ください。

地元岡山ということで、なんと出演者の監督の義理の父母、柏木夫妻と済生会病院の石原医師そして(初めて見ました)美しい奥様も会場に来られていて、しかも義父の柏木さんは壇上に上がられて質疑に応えてくれました。結果的には柏木のお母さんも石原医師も会場から答えてくれました。

映画上映の前に監督から一言だけ挨拶があり、「映画が終ったら見慣れた風景が変わって見えたならば嬉しいです」とありました。本当にこれからは(橋本さんの住まわれていた)運動公園前の風景が今までとは変わって見えるようになると思います。上映後に質疑応答がありました。

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映画あらすじ(goo映画より)
岡山に住む柏木寿夫は、養護学校を定年退職した後、障害者や高齢者を乗せる福祉車両の運転手をしている。老人と散歩したり、買い物に付き合ったり、一緒に食事したり…。その傍ら、自宅の庭で野良猫たちに餌をやり続けている。ところが最近、外部の“泥棒猫”の侵入で、猫の間に緊張が高まっている。寿夫の妻・廣子はヘルパーを派遣するNPOを運営している。彼女は週に一度、91歳の独居老人、橋本さんの生活支援に出かけていく。

監督・製作・撮影・編集  想田和弘

監督「(この映画を撮った動機は)最初韓国のパジュ(国境沿いの町)でドキュメンタリー映画祭で「平和と共存」をテーマに映画を撮ってくれという要請があって、始めは躊躇した。私はテーマありきでは撮らない。予定調和になってしまう。ところがたまたま実家に帰ったら、お父さんが野良猫に餌をやっていて、猫と人間の交流ならば撮れるのではないかと思った。泥棒猫と言われているあの猫がぱっと餌をとってばっと逃げるところを偶然撮れてしまった。出来るのではないかと思った。」

監督「フィルムは32h回しています。今回は一番短くて14日間の撮影でした。」

監督「(字幕のあり方を聞かれて)今回は岡山弁字幕版、字幕なし版、英語版の三つのバージョンがある。今回三人で字幕をつけた。妻がずっと手話をやっているという背景もある。聴覚障害者は(字幕の付く)洋画しか見ないと聞いていた。」

監督「(平和や社会の見かたについて聞かれて)私のは「問い」についての映画だと思っている。あくまでも私の解釈だけれども、福祉と戦争は真逆だと思っている。福祉は一人ひとりの事情に合わせるでしょ。足の悪い人がいたならば送り迎えをする。一方戦争は橋本さんの一銭五厘の話じゃないけどどんな事情があろうが召集令状が来たならば戦争に行かないといけない。僕は福祉の精神が行き渡ったならば戦争はなくなると思います。」

監督「(核について聞かれて)原発はずっと止めてほしいと思っていました。ぼくは今回の事故は台本主義の破綻だと思っている。「原発は安全だ」という台本が一人歩きしていて、でも現実はそれを聞いてはくれない。改めて台本主義のドキュメンタリーはダメだと思う。」

お父さん(柏木寿夫)「(出演してみて)全体を通して何の緊張もなく、おっカメラ撮りょんかい、というくらいだった。素のままでやっているままだった。普段の自分が映っている」
実際、ホントに映画のまま自然体の柏木さんでした。奥さんも壇上に上がってほしい、と監督から要請があったのですが、それは最後まで断っているところが奥さんらしいと思いました。


監督「(今回の作品について)気に入らないところはない。今回はするすると出来てしまった。ドキュメンタリーの神様が降りてきたみたい。母が福祉の制度を批判しているときに鳩山さんの演説がラジオから流れていたのもそう。橋本さんが戦争体験の話をするのもそう。あれは事前の打ち合わせは一切やっていないから、あの空気が撮れたのだと思っている」

監督「(取材者との関係性について聞かれて)選挙のときは自分の存在を消そうと思っていた。今は自分が映ってもいいや、と思っている」

済生会病院の石原医師「最初お話が来たとき、(テレビに何回か出た経験から)変な扱いになるのを心配したけど、今回作品を見て台本主義じゃないことが良く分かった。今回は普段のままが出ていた。私は方言を出して診療するスタイルなんだけどそのままだった。橋本さんの普段の生活は知らなかったけど、見れてよかった。」

私も質問してみました。
「橋本さんがなくなられたのが最後にあって、ショックでした。彼の最後は撮影から何ヵ月後で、葬式はどのようだったのですか。それと、黒猫のその後の様子を知りたい。」
監督からではなく、一番事情を知っている奥さんとお父さんが答えてくれました。
奥さん(柏木廣子)「一ヵ月半後になくられました。普通生保(生活保護受給者?)の葬式は1-2人の参列なので、そのイメージで行ったら、若い人がたくさん来られていてびっくりした。福祉関係だけでなく、何らかの付き合いのある人。30人くらいだった。ギターの演奏もあって心のこもった葬式でした。」
末期肺ガンにかかりながら愛用の「ピース」のタバコを離すことができない91歳の橋本さんの様子は、なんか私の父の最後にも似て心に撃つものがありました。彼の最期が淋しいものでなくて、本当によかったです。
お父さん「ハートのシロは実はこの二月に亡くなりました。この二年間2-3日に一度の点滴をうっていたのだけど、ついに。クロは、撮影は二年前の11月でしたが、あれからすこしづつみんなの中に入っていった。最初は泥棒猫特有の眼の輝きを持っていたけど、今は優しい眼になっています。」
絶対平和を声高に叫ぶものではないけれども、監督の言うように「戦争と福祉は真逆である」ということを雄弁に語るドキュメンタリーであったと思います。これこそ、「平和と共存」ですね。

映画は「テーマありきの映画ではない」けれども「ある程度の予感を持って、撮っていって、いろんな対象映像の中から自分の主張を出す見事な編集をした」「ドキュメンタリーの王道」を行った作品だと思います。監督の「観察映画」という言い方に付いては、私は当初「選挙」に付いて書いた折にコメント欄で監督から反論をもらっており、主張の訂正をしています。今回はその「観察映画」の一番善いところが出た作品なのではないかと思います。

地元の試写会でしか味わえない、豪華なゲストを迎えて貴重なお話を聞けた有意義な時間でした。
プロフィール

Author:KUMA0504
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